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SKYWING731

だから大好き! 出演者情報

沖雅也

伊集院隼人(ハヤト王子)

母の墓前で手を合わせるさやかがパール王国の王女であることを知ったハヤト王子(伊集院)は、生前にお世話になったさやかの母の為に、今後さやかを守っていくことを誓う。  さやかがピンチの時に颯爽と白いフェアレディーに乗って現れ助け出す。 そしてさやかの起こした騒動もうまく言いくるめ事なきを得る。 そんな伊集院だが、これがハヤト王子だとはさやかはまだ気づいていない。


ダイヤ王国の継承者には胸にほくろがあるということになっていますが、伊集院隼人にはそのほくろがありません。 非継承者?それとも手術して取った?

沖 雅也(おき まさや、1952年6月12日 - 1983年6月28日)は、日本の俳優。本名:日景 城児(ひかげ じょうじ)、出生名:楠 城児(くすのき じょうじ)。 大分県別府市、大分市出身。大分市立王子中学校卒業。日活出身。JKプランニングに所属していた。身長183cm。

生い立ち

1952年(昭和27年)6月12日、父は旧制高等小学校出の石油卸売業、祖父は東京帝国大学医学部出の医師であり、大病院経営という裕福な家庭に生まれる。出生名は楠城児といった。しかし父親の事業失敗のために大分市に転居, その後も市内を転々とする生活を送った。小学生の頃は手に負えない程いたずらをするなど、わんぱくな一面があった。

上京

中学2年時の1966年12月、両親が離婚し、父に付くも、家庭不和により1968年1月4日、中学校の卒業前に家出。10万円の全財産とバッグ一つで上京。当日はホテルニューオータニへ宿泊。翌日から氏名と年齢を偽り、住み込みで中華そば屋の店員やカステラ工場の配送員の助手など職を転々とし、最後はスナックのバーテンダーをしていた。中学は卒業していなかったが、1968年にデビューする際、大分市内のホテルで佐藤文生代議士や大分市長らも出席してレセプションが開かれ、この席上で王子中学校の校長が沖に中学の卒業証書を手渡した。それまでは大分舞鶴高校中退ということにしていた。その後は高校の通信教育で卒業している。

日活時代

ある日、客からスカウトされファッション誌のモデルになるも、単発的な仕事だったためスナック勤めを続けながら業務をこなしていたが、食う物にも困る程生活が苦しかった。
1968年、16歳のとき、オスカープロモーション設立前の古賀誠一にスカウトされ、古賀が沖を日活関係者に紹介して『ある少女の告白・純潔』で銀幕デビューした。丘みつ子とのコンビで売り出される。
1969年にはエランドール新人賞を受賞、その後は数々の日活作品に助演する。芸名の「沖雅也」の「雅」は当時の日活社長の堀雅彦の一字から名付けられるなど、相当な期待を受けていたが大きな役には恵まれずにいた。
1971年に入り『八月の濡れた砂』でようやく主役に抜擢されるも、撮影開始直後にオートバイ事故のケガで降板という不運に見舞われた。

「必殺シリーズ」出演

テレビドラマ『さぼてんとマシュマロ』の主演で人気を博し、他に『金メダルへのターン!』(フジテレビ)、『キイハンター』(TBS)にセミレギュラー出演するなど、気鋭の若手として注目を浴びた。初期はアイドル的な人気で、松竹へ移籍した1972年から徐々に大人の役者への脱皮を試みる時期となった。
1973年に必殺シリーズ(朝日放送)第2作『必殺仕置人』の棺桶の錠役に抜擢される。山崎努、藤田まことらとの共演で注目され、2年後(1975年)のシリーズ第6作『必殺仕置屋稼業』にもレギュラー出演。沖は役に入れ込み、棺桶の錠とはガラリと印象の変わった冷徹な殺し屋・市松を演じた。その間の1974年にはNHK金曜時代劇『ふりむくな鶴吉』の主演にも抜擢されているなど、この時期は時代劇での活躍が目立った。1975年、沖は実父の死去を受け日景忠男と養子縁組、日景城児となった。

太陽にほえろ!(第1期)〜俺たちは天使だ!

第1期のレギュラー出演となる以前、沖は1972年9月放送の『太陽にほえろ!』第10回「ハマッ子刑事の心意気」に、神奈川県警浜崎署・久保刑事の名で石塚刑事の好敵手として初出演を果たした。 その後、必殺仕置屋稼業を見て沖の演技に注目した太陽にほえろ!のプロデューサー岡田晋吉により、1976年9月、『太陽にほえろ!』(日本テレビ)のレギュラーとして城北署から七曲署に転勤した滝隆一(スコッチ刑事)役として出演し、爆発的な人気を得ることとなる。高視聴率番組だった『太陽にほえろ!』は、チームワークが絶好調でメンバー同士の対立が全く考えられない状況であり、ある種のマンネリズムを危惧した岡田が、「七曲署に波風を立てる役」として、新人俳優では無理と考えて、拝み倒して出てもらったという。難しい役を演じるために、現場でも遠くで一人でポツンとして役づくりに徹していたという。 勝野洋演じる殉職したテキサス刑事の後任として登場して翌1977年3月まで、沖本人の希望により半年間契約で出演し、山田署へ転勤という形で一旦降板した。
1978年、沖は同じ岡田晋吉企画の刑事アクションドラマ『大追跡』、『姿三四郎』での準主役等を経て、1979年にアクションコメディドラマ『俺たちは天使だ!』(日本テレビ)に主演、沖本来の明るいキャラクターを前面に出した、陽気で伊達男のキャップこと主人公・麻生雅人役を演じ茶の間の人気を博した。この時期には脇役ながら東宝映画への出演も多く、市川崑、岡本喜八ら巨匠監督の起用も受けて映画俳優としての将来性も期待されていた。

太陽にほえろ!(第2期)

1980年3月、『太陽にほえろ!』と同じ曜日と時間に放送されていたTBSの『3年B組金八先生』に押され、視聴率が低下してきた時に、視聴者たちから番組宛に「何とか沖を復帰させて欲しい。」との声が多数届き『太陽にほえろ!』に復帰を果たす。沖は再登場に乗り気ではなかったが、東宝との関係や岡田プロデューサーの依頼で再登場し、再びレギュラーを務めることとなった。沖は太陽復帰にあたり約1カ月前から走り込みなどを行っていた。また今度はクールな刑事ではなく、人間味のある刑事を演じたいと語っていた。
1981年、大島渚監督『戦場のメリークリスマス』においてヨノイ役の有力な最終候補者であったが、撮影スケジュールの変更と沖の精神的病により候補者から外れることを余儀なくされ、八月の濡れた砂に続いてまたしても映画での大役を逃した。同年には『江戸の朝焼け』でも主演を務めが、他にもレギュラー番組をいくつか抱える過密スケジュールの中、沖は精神的な不安定度が高くなり、同年4月11日に東名高速道路でキャデラックを運転中に自動車事故を起こし、足首の軽い捻挫と躁鬱病(躁うつ病)と診断され2週間入院した。退院後も精神安定剤を服用しながら同年6月1日に現場に復帰したが、肝臓炎の発症や薬の副作用によるむくみや肥満などから躁鬱病が悪化、沖も復帰から3ヶ月後に再び長期間の休養を余儀なくされ、本来はもう少し長く出演するはずであったが、最終的には病死という形で、翌1982年1月に番組から降板することになった。また同年日本テレビで放送された藤竜也主演、沖が出演した『大追跡』の後日談とも言える『プロハンター』への出演を打診されていたが、スケジュールを空けることが出来ず出演はならなかった。
1982年6月沖雅也 特別公演「恋剣法・若さま春秋」で初座長を務めた。

自殺

1983年(昭和58年)6月28日。大阪での舞台公演が控える中、仕事を終えチェックインしていた東京都新宿区西新宿の京王プラザホテルにて、「おやじ 涅槃で 待ってる」という遺書を残し、本館最上階(47階バルコニー・高さ170メートル)より警備員の制止を振り切って飛び降り、ビル7階の屋上に落ちて全身を強く打ち即死した(31歳没)。偶然にも沖が徳川家光役で出演していたドラマ「大奥」でも同日の放送で死を迎える設定であった。
遺書にある「おやじ」とは、1975年に養子縁組した義父であり所属事務所の社長でもあった日景忠男のことである。日景は、15歳で家出同然に上京して職を転々としながら荒んだ生活を続けていた沖と出会って以降、公私に渡って面倒を見続けていた。沖は自宅に彼宛の二通の遺書を残していた。なお、沖は異性愛者であり女優との恋愛の話や、外国人女性との噂などがあった。また日景自身も親しくしていた坂口良子や、沖と家族ぐるみの交流があった吉沢京子を沖の婚約者にしたいと言っていたことがあったという。
沖は飛び降り自殺をした際、「蒲田行進曲」原作者で演技指導を受けたつかこうへいの名でホテルにチェックインしており、遺書にはつかの名前を使ったこと・京王プラザホテルに対し自殺場所としたことをそれぞれ詫びる文面があった。ホテルの部屋備え付けのメモに遺書を残したあと屋上へ向かい、まずは一服し、警備員が目を離した隙にフェンスをよじ登った。気が付いた警備員が「危ない!」と声を掛けた時には既にフェンスを乗り越える寸前で間に合わなかった。警備員は自殺直前の沖の様子について、沖だとはわからなかったと証言している。日景曰く沖の遺体は背中から落下したため、顔は無傷だったという。
沖の突然の死は芸能界や世間に大きな衝撃を与え、自殺直後の1983年6月30日に密葬、1ヵ月後に事務所主催の葬儀・告別式が行われ、つかが葬儀委員長を務めた。密葬と葬儀には勝野洋、ロミ・山田、美輪明宏、二谷英明、柴田恭兵、坂口良子、渡辺美佐子らが弔問に訪れ、柴田、坂口らが弔辞を読んだ。平幹二朗は沖の事を「胡蝶蘭のような人」と語ってその死を惜しんでいる。奇しくも『蒲田行進曲』後編は死の翌日(6月29日)に放送された。ある俳優が、沖の死後マスコミが、沖について有る事無い事を、おもしろおかしく書いた事に不快感を示した。
必殺シリーズで共演した藤田まことは沖は話が突然飛ぶなど、精神的に不安定であったと死亡日の夕刊新聞に語っていた。
京都松竹撮影所の渡辺寿男によると、沖は死の一週間程前に撮影所を訪ねて来たが、「東映の仕事のついでに寄ったのだと当時は考えたが、後で思えば別れのあいさつであったのだろう。」と語っている。また大追跡で監督を務めた村川透は、沖の死の少し前に京都駅で偶然沖と鉢合わせ、短い会話をしたと話している。 沖と親しかった渡辺篤史は、沖の死について、沖が普通の人の倍のスピードで生きていたので、疲れてしまったのだろうと話していた。
沖の墓所は長谷寺(東京都港区)に建立されている。
石原裕次郎とは裕次郎自らが企画し最後の日活での映画出演となった、男の世界以来の付き合いであり、裕次郎は沖の自殺に大きなショックを受けた。そのことから太陽にほえろ!の最終回では裕次郎による完全なアドリブで沖が演じたスコッチの名前を出し、命の大切さを強調した。

映画

ある少女の告白・純潔 (1968年、日活) - 近藤徹
花ひらく娘たち(1968年、日活) - 柿崎大助
花の特攻隊 ああ戦友よ(1970年、日活) - 小野真吉
いちどは行きたい女風呂(1970年、日活) - 東雲
男の世界(1971年、日活) - 緒方修
関東流れ者(1971年、日活) - 滝村洋
流血の抗争(1971年、日活) - 田村徹
高校生無頼控(1972年、東宝) - 村木正人
ザ・ゴキブリ(1973年、東宝・石原プロモーション) - 橋本
白熱デッドヒート(1977年、東宝) - 島本三郎
惑星大戦争(1977年、東宝) - 室井礼介
女王蜂(1978年、東宝) - 多門連太郎
火の鳥(1978年、東宝) - ウラジ
ブルークリスマス(1978年、東宝) - 原田
乱れからくり(1979年、東宝) - 馬割朋浩(特別出演)
トラブルマン 笑うと殺すゾ(1979年、東宝)
地球へ…(1980年、東映アニメ映画) - キース・アニアン
古都(1980年、東宝) - 竜助

テレビドラマ

犬と麻ちゃん(1969年、NET) - 野村誠
火曜日の女シリーズ 高校生ブルース クラスメイト(1971年、NTV) - 河合良一
金メダルへのターン!(1971年、CX / 東宝) - 立花一平
さぼてんとマシュマロ(1971年 - 1972年、NTV) - 伊藤仁
だから大好き!(1972年、NTV) - ハヤト王子(伊集院隼人)
1・2・3と4・5・ロク(1972年、TBS) - 長島ヤスオ
気になる嫁さん(1972年、NTV / ユニオン映画) - 村上水守
キイハンター(1972年、TBS / 東映) - 滝裕二
小さな恋のものがたり(1972年、NTV) - 村上つとむ(サリー)
太陽にほえろ!(NTV / 東宝)
第10話「ハマッ子刑事の心意気」(1972年) - 久保刑事(浜崎署)
第217話「スコッチ刑事登場!」 - 第244話「さらば、スコッチ!」(1976年〜1977年) - 滝隆一
第274話「帰ってきたスコッチ刑事」(1977年) - 滝隆一
第300話「男たちの詩」(1978年) - 滝隆一
第399話「廃墟の決闘」 - 第456話「ボス、俺が行きます!」(1980年 - 1981年) - 滝隆一
第463話「六月の鯉のぼり」 - 第476話「ラガー刑事登場!」(1981年) - 滝隆一
第491話「ドックのうわごと」 - 第493話「スコッチよ静かに眠れ」(1982年) - 滝隆一
光る海(1972年 - 1973年、CX) - 野坂孝雄
嫁の縁談(1973年、ABC) - 大町辰次
GO!GOスカイヤー(1973年、CX) - 天地隼人
必殺シリーズ(ABC / 松竹)
必殺仕置人(1973年) - 棺桶の錠
必殺仕置屋稼業(1975年) - 市松
必殺仕業人(1976年) - しじみ売り ※必殺シリーズ通算200回記念※
必殺からくり人・富嶽百景殺し旅(1978年) - 唐十郎
必殺シリーズ10周年記念スペシャル 仕事人大集合(1982年) - 棺桶の錠
年忘れ必殺スペシャル 仕事人アヘン戦争へ行く 翔べ!熱気球よ香港へ(1983年) - 棺桶の錠(フィルム出演) ※実質関わった必殺シリーズ最後の出演であり、遺作。
天皇の世紀 第二部(1973年、ABC) - 坂本竜馬
おやじの嫁さん(1973年、CX)
新十郎捕物帖・快刀乱麻(1973年 - 1974年、ABC) - 小山田鉄馬
銀河テレビ小説 / 三四郎(1974年、NHK) - 小川三四郎
幡随院長兵衛お待ちなせえ(1974年、MBS / 東宝 / 俳優座映画放送) - 唐犬権兵衛
バーディー大作戦(1974年、TBS / 東映) - 韋駄典介
青葉繁れる(1974年、TBS) - 渡部俊介
ふりむくな鶴吉(1974年 - 1975年、NHK) - 鶴吉
おからの華(1974年 - 1975年、YTV)
北都物語(1975年、YTV) - 樋口良
はぐれ刑事(1975年、NTV / 国際放映 / 俳優座映画放送) - 影山建三郎
木下恵介・人間の歌シリーズ / 早春物語(1976年、TBS)- 平野信一
隠し目付参上(1976年、MBS / 三船プロ) - 左吉
伝七捕物帳 第107話「裏通りの鼠たち」(1976年、NTV)- 狐の芳造
横溝正史シリーズ 「悪魔が来りて笛を吹く」(1977年、MBS) - 三島東太郎
土曜ドラマ / 松本清張シリーズ・依頼人(1977年、NHK) - 河村亮平
大追跡(1978年、NTV / 東宝) - 矢吹史朗
達磨大助事件帳 第27話「若いのろし」(1978年、ANB / 前進座 / 国際放映) - 啓次
姿三四郎(1978年、NTV) - 檜垣源之助、檜垣鉄心 ※二役
俺たちは天使だ!(1979年、NTV / 東宝) - 麻生雅人(CAP)
体験時代(1979年、12ch) - 多門英太
細うで一代記(1979年、YTV) - 一宮
土曜ワイド劇場(ANB)
京都殺人案内 第1作「花の棺」(1979年、ABC / 松竹) - 西川和彦
西村京太郎トラベルミステリー 第3作「北帰行殺人事件」(1982年) - 橋本豊
母に捧げる犯罪(1983年7月9日に「沖雅也追悼作品」の冠で放映[49])
幻の結婚式 (1985年、松竹)※1982年に撮影。
浴室の死美人 (1985年)※1982年に撮影。
江戸の波濤(1979年、CX / 東宝 / 映像京都) - 花房律之助
江戸の激斗 第18話「復讐の狼」(1979年、CX / 東宝) - 龍次郎
同心部屋御用帳 新・江戸の旋風(1980年、CX / 東宝) - 立花精一郎
江戸の朝焼け(1980年 - 1981年、CX / 東宝) - 島佐太郎
赤かぶ検事奮戦記(1980年、ABC / 松竹) - 法眼弁護士
新春ワイド時代劇 / 寛永御前試合(1983年、ANB) - 由井正雪
大奥(1983年版)(1983年、KTV / 東映) - 徳川家光
時代劇スペシャル / 素浪人罷り通る 去るも地獄残るも地獄(1983年、CX / 三船プロ) - 仙十郎
火曜サスペンス劇場 / 天使の復讐(1983年、NTV)
かけおち83(NHK)
日立テレビシティ / 蒲田行進曲(1983年、TBS)
新・松平右近 第20話「お夕慕情」(1983年、NTV) - 巳之吉

バラエティ番組

連想ゲーム(1975年 - 1976年、NHK、レギュラー)
徹子の部屋(1976年、NET、中尾彬と共に出演)
ごちそうさま(1979年、NTV、セミレギュラー)

CM

森下仁丹「梅仁丹」
日本民間放送連盟 (1982年)

舞台

「ふりむくな鶴吉・冬の女」「新門辰五郎」(1976年10月30日〜11月25日 大阪・中座)
沖雅也 特別公演「恋剣法・若さま春秋」(1982年6月1日〜26日 大阪・新歌舞伎座)

ウィキペディアより (2020/4 Update)